小学校時代
塾通いをしていた私には
誰にも内緒のお気に入りの道があった。
それはバス通りから一本奥に入った
小さな田園風景のような空間だった。
秋になるとよく
「ちくちく爆弾」と呼んだイガイガの実をポケットに忍ばせ
黒板に向かう先生の背中に命中させたりしていた。
そして中学受験に失敗した。
あたり前である。
人生で初めて「あなたはダメー」と選別された経験となったが
ショックはそれほど受けず
むしろ受験結果を見た帰り道に
母が気を使って「甘いモノでも食べたら」などと勧めてくるので
むしろ私の方が母の気遣いをどうしたものかと
困ったのを覚えている。
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今日、犬の散歩に出かけたら
青いちくちく爆弾もどきのような実を見つけた。
草の間には小さなタネのようなものや
生き物が沢山動いている。
犬は草をむしゃむしゃやっていた。
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今朝、南相馬から
「おもやい通信」へ掲載するための
原稿が届いたばかりだった。
それはのどかな里山が
豊かに春の山菜を育み
それを楽しんだという
過去形になっていて
やりきれないだけでは収まらない
言葉には尽くせない
悲しい怒りのような感情をひきおこす。
自然の営み
青い草の波
巨大な利権は今日も世界を堂々と巡る。
個々の営み
生命のことは
よく目を凝らしていないと見えなくなる。
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蜂が一ぴき飛んで行く
琥珀細工の春の器械
蒼い眼をしたすがるです
(私のとこへあらはれたその蜂は
ちゃんと抛物線の圖式にしたがひ
さびしい未知へとんでいった)
チモシイの穂が青くたのしくゆれてゐる
それはたのしくゆれてゐるといったところで
荘厳ミサや雲環とおなじやうに
うれひや悲しみに對立するものではない
宮澤 賢治 「鈴谷平原」より