冥途

一瞬、音も立てず炎があがったと思ったら、白い衣装を身にまとった人の姿が浮かび、次の瞬間にはもう森閑と闇が広がるばかり。

 

近所の神社には、入ってすぐ左手に「百度石」と彫られた石が立っている。

真夜中、この石と正面本堂までの間を、誰かが祈りを繰り返しつつ巡っている姿を思い浮かべる。

それは多くの念を吸い込んできた石だ。わたしの中では五寸釘と同じくらいの重たさだ。

 

右手奥には小さなお稲荷様のお堂がひっそり並んでいる。

人出の多い「茅の輪くぐり」の日でさえも、ここだけは静かなままだ。

お堂のそばには壊れた狐の像が並べられ、赤い前掛けがこもれびの中に色あせている。

さきほどの火の玉のようなモノがあがったのは、一番右にあるお堂だった。

 

 

 

ある夜、母が玄関を開けるなり「今神社の横を通ったら暗い中に人が輪になっていた」と言ったことがあった。音もなく盆踊りの練習とも思えなかったから不気味だったと話した。で当時のわたしはそれを笑ったものだった。音を出さずに盆踊りの練習をする人もいるかもしれない。

この神社では祭りの時期になると祭囃子を練習する音が聴こえてくることもある場所だ。

 

 

ちょっとここで考える。

あれ、あの狐火と鬼火はどういう違いなんだろう。

 

 

以前、山奥に暮らしていたことがある女性が「ヒトダマは虫の集合体」と教えてくれた。虫の集合体となると情緒も空想の余地もない。

 

この女性は夕暮れになると自宅の屋上で、こうもり釣りをする人だ。一度、彼女と一緒にうなぎを捕まえて食べる企画をした。

仕掛けづくりからやり、夜の間に仕掛けたものを翌朝早い時間に見に行った。

どの仕掛けにもうなぎは入っていなかったが、別の人が別の方法で釣ったうなぎを蒲焼にして食べた。

 

最終的にうなぎ美味しかったの思い出になってしまった。

情緒がない。